代表の履歴書~協和エクシオ(現・エクシオグループ株式会社)編~

さて、「立教大学編」でも書きましたが、見事第一志望であった「協和エクシオ(現・エクシオグループ株式会社)」から内定をもらうことができまして、初めての社会人生活がスタートしました。

同期は会社全体では100名程度だったかと思いますが、私が配属された「eビジネスソリューション事業本部」は20名ほどだったと記憶しています。いわゆる「超氷河期」という時期は少し過ぎたくらいでしたが、まだまだ入社人数は多くはなかった時代だったかと思います。

ここで私はシステムエンジニアとしての歩みを進めるわけですが、私は大学時代にはプログラミングなどの勉強はあまりしておらず、ほぼど素人の状態で入社しました。非常に不安はありましたが、協和エクシオの新入社員研修は本当に充実していて、私自身にも非常にあっていたと思われ、最後の実力テストではトップクラスの点数をとることができました。期間は3カ月間で、東京の少し(?)田舎の方にある研修所で、みっちりとプログラミングなどを学ぶことができました。講師も3カ月間固定で2名がアサインされていて、何でも質問できるいい関係で研修を受けることができました。私のシステム開発の基礎は全てここで学んだといっても過言ではなく、本当に私の人生の中で貴重な3カ月となりました。ずっと学歴コンプレックスを抱えていた私でしたが、何だかここで「やっと追いついた!」と思えたのを覚えています。

研修が終わると、さっそくプロジェクトに配属されました。某通信事業者の料金計算システムの開発を担うプロジェクトでした。ここで、OJTを受けることになりますが、ここでの環境も非常に恵まれていたと思います。私についてくださったOJTの先輩は1つ上の先輩で、非常に気さくな方で、何でも質問したり相談したりできる方でした。このプロジェクトではC++、UNIX、Oracleといった開発環境で、新入社員研修では学べなかったことも数多く学ぶことができました。最初の方はプログラミングをはじめ、単体テスト等を行う「製造」の経験を積ませてもらいましたが、最後の方は「資材管理」といって、様々なチームが作成するロードモジュールを結合するコンパイルを行ったり、結合テスト環境にロードモジュールをアップロードしたりといった仕事に従事していました。どれもこれも本当に貴重な経験を積ませていただきました。基本情報技術者やオラクルシルバーといった資格も、このころにとることができました。

ここまでは本当に恵まれた環境で仕事ができてきましたが、プロジェクトから離れ、少し「待機」の期間があったときに、今思えば些細な事なのですが、ちょっとしたボタンの掛け違いがあり、結局は退職という選択をしました。システムエンジニアには「待機」はつきものということは分かっていましたが、「はやく仕事がしたい」「もっともっとスキルをのばしたい」「ほかの同期から遅れたくない」など、当時の私はやたらと何かに「焦り」を感じており、こんなに素晴らしい会社を5年弱で辞めてしまったことは、若気の至りとしか言いようがありません。。。

とはいえ、過ぎてしまったことを後悔してもしょうがありません。次回は、転職先となる「日本能率協会総合研究所編」をお届けしたいと思います。